淡海乃海〜水面が揺れる時〜
足利 義輝
史実と比べて。
どうだったんでしょうねぇ。(早めに永禄の変は起きたっぽいですが)
でも何だか、本伝の彼は結構幸せだった気がする。(死後も主人公にディスられてるけど)
主人公の忠義を信じてて頼ってた、のかな。
主人公が幼い頃は割と良いお兄さんっぽかったのかもしれない。
少なくとも周囲の人達(幕臣含む)は、義輝は主人公と琴瑟…は夫婦だから違くて、えーと水魚の交わり的に見てた感がありますね。
だからこそ、義輝の実の弟クンは、主人公に反発したのかもしれない。(なんて思ったりして)
史実では...
足利 義輝
天文5年(1536年)3月10日、第12代将軍・足利義晴の長男として誕生。
幼名は菊幢丸。
天文15年(1546年)7月27日、菊幢丸は朝廷より、義藤(よしふじ)の諱を与えられた。
同年11月19日には朝廷から将軍の嫡子が代々任じられてきた左馬頭に任じられた。
(同年12月19日、元服)
六角氏の当主・六角定頼が烏帽子親となった。
翌20日、将軍宣下の儀式が行われ、義藤はわずか11歳にして父から将軍職を譲られ、正式に第13代将軍となった。
永禄8年5月19日、永禄の変で討ち死。
享年30(満29歳没)。