淡海乃海〜水面が揺れる時〜

蒲生 賢秀

パパに対するコンプレックスはあるのだけれど。
ニュータイプ(って古いか。でもZ世代は氏郷クン達じゃないかなと思う)なので、「基綱が六角家当主になればWinWinじゃねぇっ?!」(台詞意訳)と言って頑固親父(パパ)に叱られた。(殴られてはいない筈。たぶん)
でも目の付け所は良いよねー。
(世代的に)管領代への心酔度が低い為、六角家血筋への拘りも低いのではないか、と思われます。
兄弟仲はよさそうですね。

史実では...

蒲生 賢秀

六角氏、織田氏の家臣。近江国日野城主。
天文3年(1534年)、六角氏の重臣の蒲生定秀の長男として誕生。
父の定秀と共に六角氏に仕え、永禄6年(1563年)に観音寺騒動が発生すると定秀と共にその収拾に尽力。
六角家滅亡後、嫡男の鶴千代(後の蒲生氏郷)を人質として差し出して信長の家臣となる。
天正12年(1584年)4月17日に死去。享年51。