淡海乃海〜水面が揺れる時〜
織田 信意
史実でも淡海世界でも「不覚人」と呼ばれちゃってる人。(でも信長の息子だから偉いんだ!と本人は思ってる)
個人的には確かに困ったチャンだけど、悪くないよね、と思う。
というか、この人の優柔不断さや風見鶏っぷりになんか安心する。(私も優柔不断だしー)
最近(13巻以降ね)では幸せそうで何より。
生家の家業が合わないというのは、現代でも良くあることです……
大体ねー「茶筅」とかって名付けられちゃった時点でもう、ねぇ。(それ言ったらお兄ちゃんはもっと気の毒だけどv)
史実では...
織田 信雄
永禄元年(1558年)、尾張国丹羽郡小折(現・愛知県江南市)の生駒屋敷で織田信長の次男として生まれる。
幼名は茶筅。
永禄12年(1569年)、父・信長の北畠家攻略戦の和睦条件として、北畠具房の養嗣子となった。
元亀3年(1572年)に元服して北畠具豊と称した。
家督を相続後は信意に改名。
本能寺の変に際して信意は近江国甲賀郡土山まで進軍したものの、戦わないまま撤退した。
清洲会議で信意は兄・信忠亡き後の織田家の後継者になろうとするものの、結局、織田家当主は三法師、後見役は信意、信孝となる。
天正11年(1583年)4月に賤ヶ岳の戦いが発生した。信雄は秀吉方に属した。
小牧・長久手の戦いでは同盟者の家康に無断で単独講和を結んだ。
以降は秀吉に臣従。