淡海乃海〜水面が揺れる時〜

浅井 久政

浅井賢政の父親。
主人公が野良田の戦いに参戦したことで、史実と異なる最後を迎えた一人。
(初期の被害者って感じでしょうか)
但し、主人公は「内政家」として高く評価してるっぽい。
配下の国人衆(代表義兄井口さん)への締め付けが強かった為、離反も早かった感。
主人公にとっては反面教師の一人だったのではないかな、と思います。
ところでこの人が保護していた(のではないか??)京極一族の皆さんはどうなったのかなぁ?
(一人もなし?もしかして、この人と一緒に捕まって六角さんにやられちゃった??)

史実では...

浅井 久政

大永6年(1526年)、浅井亮政の長男(庶長子の説あり)として誕生。
天文11年(1542年)、父・亮政が死去したため跡を継いだが、勇猛な父とは対照的に武勇に冴えなかったとされる。
久政が当主となってからの浅井家は次第に六角氏の攻勢に押され、ついにその配下となってしまった。
嫡男に六角義賢の一字「賢」の字を偏諱として受けさせ、賢政(のちの長政)と名乗らせ、さらに賢政の妻に六角氏家臣の平井定武の娘を娶らせるなど、六角氏に対しては徹底した従属的姿勢をとった。
天正元年(1573年)、織田信長が率いる軍勢が浅井氏の本城である小谷城を攻撃した。
久政は一族の浅井福寿庵(浅井惟安)、舞楽師の森本鶴松大夫と共に盃を傾けた後に切腹した。
これを福寿庵が介錯し、次に福寿庵を鶴松大夫が介錯した。
享年48。