淡海乃海〜水面が揺れる時〜
木下 長秀
この人はブレてない感。
淡海世界でもお兄さんが一番大事。
お兄さんが幸せそうならそれで万事OKな感。
でもやっぱり史実より淡海世界での方が、お兄さんの精神的ストレスというか病み度は低かったと思われるので、この人も淡海世界の方が幸せだと思う。たぶん。
史実では...
豊臣 秀長
天文9年(1540年)、竹阿弥の子、秀吉の異父弟(一説に同父弟)として尾張国愛知郡中村(現・名古屋市中村区)に生まれる。
豊臣政権において内外の政務および軍事面で活躍を見せ、天下統一に貢献した。
最終的には大和・紀伊・和泉の3ヶ国に河内国の一部を加え、約110余万石の大名となるに至る。
天正19年1月22日(1591年2月15日)、秀長は郡山城内で病死した。享年52。
男子がいなかったため、家督は養嗣子になっていた甥(姉・智の息子、秀次の弟)の秀保に継がせた。