淡海乃海〜水面が揺れる時〜
徳川 家康
史実に比較して、(三英傑の中では)一番不幸だったのではないか、という人。
今川から離反したものの自立出来ず、織田の配下となって生き延びた。
信長の病死を機に自立、北条を滅ぼしたものの、基綱の息子トレーニングに利用され堅綱に滅ぼされた。
本人的には、最終的に自立出来たことは大満足だったっぽい。
正室の市は信長の妹である為、当初不仲であったが、最後はラブラブっぽかったのも「我が生涯に悔いなし」心境に至った理由ではないかと思われる。
正室
史実では...
徳川 家康
天文11年12月26日(1543年1月31日)生。
三英傑の1人。
江戸幕府初代征夷大将軍。
安祥松平家5代当主で徳川家や徳川将軍家、徳川御三家の始祖。
幼名竹千代。
元和2年4月17日(1616年6月1日)駿府城において75歳(満73歳4か月)で死去。